明日は明日の風が吹く

某塾で個別指導講師やってます。日記とか考えたこととかを記事にしています。

縁はロマンかファンタジーか

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こんにちは、Mです。いろんな方の過去記事にスターをつけて気持ち悪がられてると思います。更新してないブログに行ってそのまま帰るの口惜しくないですか?え、そうでもない。それは失礼しました。意外と楽しいですけどね。特定の方をストーキングしてるわけじゃないのでご了承ください。

 

皆さんは「縁」(えん)という言葉に感慨をいだいたことがあるでしょうか。真っ先に連想するのは、「良縁」「縁結び」などの、結婚相手との出会いなのですかね。赤い糸で結ばれた相手と運命的に巡り会って恋に落ち、結婚式ではコブクロの「永遠にともに」を弾き語りで歌って愛を誓い合ったりするイメージです。

 

「袖振り合うも多生(他生とも)の縁」ということわざがあるように、ちょっとしたかかわりしか持たなくても縁ということになるのかもしれません。浅い縁、深い縁、いろいろあると思います。

 

人生を変えるチャンスをくれたり、命を救ってくれたりといった恩人、長い間良好な関係を築くことができた友人や恋人もあれば、いつも邪魔をしに現れる目の上のたんこぶ、さんざん面倒をみてあげたのに裏切る相手、あの人にさえ会わなければと思う人など、良い縁から悪い縁までバリエーションもたくさんあります。因縁の相手、腐れ縁とかもときどき耳にする言葉です。

 

私の場合は、病気している時に高額な商品をおすすめしてくれる方がなぜか「ご縁ですから」とよく言っていたような記憶があります。さらに私の知り合いにおすすめしてその人たちが商品を買うようになれば私の口座に自動的に何%が振り込まれるとかの説明を聞いたような気がするのですが忘れちゃいました。そういう才能はないみたいです。

 

 

壮大なストーリー

 

私、けっこう長い間病気をしておりましてですね、なかなか治療効果が出ず元気にならないものですから、霊能者と呼ばれる方のところに通ったり、宗教系・スピリチュアル系の書籍もそこそこ読んでみた時期があったのです。溺れる者は藁(わら)をもつかむというやつで、別に信心深い性格というわけでもないのですが。

 

そうした中で、人が生まれ成長し年を取り、最終的に死んでいくまでの間、他の人との出会いによって次から次へと出来事が展開していくこの不思議な流れに少し興味を持ちました。何かあらかじめ決められているような出会いがあるのかな?みたいな。そこで、自分が聞いた話、読んだ本を総合して勝手に思っていることを書いてみます。

 

そもそも自分が依頼

 

まずですね、生まれる前に自分が親となってほしい人たちの元に行きまして、

「あのー、今度生まれたいんですけど親になってもらっていいですか?」

みたいな感じで頼みに行きます。

「OK!YOUウチの子供になっちゃいなよ!」

とゴーサインが出るとまずは誕生の内定が取れます。

 

ところが生まれるとこのくだりをすっかり忘れておりますから、

「誰も生んでくれなんて頼んでねーし!」

とか言い出すわけですね。実に面白い。

 

結婚相手・子供も約束

 

そして結婚相手や子供も誕生前にアポイントを取っておきます。そのはずだったんですが私の場合は「自由気ままに自分のペースで楽しめるひとり旅コース」ということになりました。人によっては、「あなたはどうも長続きするか怪しい。念のため第2、第3候補、サービスで第4候補も計画しておきましょう」と手の小指に何本もの赤い糸を結ばれていることもあります。それが良いのか悪いのかは何とも言えません。

 

その時が来るとうまい具合に知り合って、どういうわけかお互い気になりやがて結婚しようという気になります。それまで長く交際していたのに破局してしまい、次の相手とは出会ってごく短い期間であっという間にゴールインというのは、約束の相手だったからということになるでしょうか。不思議ですね。

 

敵キャラ

 

生きている間に、どうしても融和できない人に出会うことがあるものです。非常に近しい場所にいて縁が深いと思われるのですが、最後まで心の距離が縮まることがないという事例ですね。古くは、イエスに対するユダ、お釈迦さまに対するダイバダッタがおり、そんな偉い人たちでも相手の心を変えさせることができないわけですから、私ら一般人にはなおさら無理な話です。ご存知とは思いますが一応書いておきますと、

 

イエス「この中にワシを売ったやつおるやろ!銀貨30枚って、ワシそんなに安い?」

ユダ「御冗談を・・・。そのような者などここには誰一人おりませぬ」

イエス「お前全然笑いのセンスないから破門な」

ユダ「」

こうしてユダはイエスを裏切りました(※銀貨30枚で裏切ったのは本当です)。

 

ダイバダッタ「ブッダよ!毒手拳をくらえ!!」

ブッダ「ヘックション!」

コケッ(o_ _)o彡☆ (゚0゚ ;)アッ!!コケタゾ。。。(/~0~)/救急車!!

ブッダ「・・・」

こうしてダイバダッタは用意した毒が自分自身にまわり死んでしまいました(※諸説あり)。

 

どちらのケースでも、一度は弟子になったのに最終的には裏切る方に心が傾きます。どうしても超えられない存在が身近にある時、「尊敬・愛情」と「嫉妬・憎悪」の間で揺れ動くことがあるということですね。

 

出会う人は旅の友

 

よく人生は「航海」とか「旅」にたとえられますが、私も実際そう思っております。ある時期に一緒に行動してあちこち見て回ったりするも、しばらくたってから袂を分かち別の目的地を目指すというのは避けられないことです。そのときに、「じゃあまたね、どうか良い旅を」「お前も頑張れよ」のように気持ちよく別れることができれば素晴らしいですね。

 

世界を旅するバックパッカーのように、最終的に帰国するまでさまざまな人と出会い、多くの思い出を作っていく。それらの縁を少しでもいい方、楽しい方に向けられるかどうかが大事だと思うですが、まだまだ失敗も多いです。そしてどうやら私の旅も中終盤に入ろうとしており、難易度はこれからどんどん高くなりそうですね。

 

おわりに

 

いかがだったでしょうか。今回の記事は全く私の勝手な見解・妄想によるもので、

馬鹿らしいと思われるでしょうがどうぞご容赦ください。実際、縁があったとかどうとか言ってもあとから考えての結果論に過ぎず、人間にはどうしようもないことです。自分たちにできることは、チャンスであれば逃さず、危険と思えば避けることを意識するぐらいですかね。ここまで読んでいただきありがとうございました。