明日は明日の風が吹く

某塾で個別指導講師やってます。日記とか考えたこととかを記事にしています。

愛についていまさら考えてみた

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こんにちは、M(エム)です。皆さんは「愛」について考えたことはあるでしょうか。もしくは、「愛」という言葉を日常使うことがあるでしょうか。最近いくつかのブログで「愛」という文字を見かけました。私は若いころは、この「愛」という言葉の語感や文字の見た目がむずがゆくて仕方ありません。きれいごとの代表格みたいに思っていたのかもしれません。今では特に何とも思わなくなりましたね。もしも結婚していたとしたら奥さんに朝晩「愛してるよ」と言い、メールの末尾には「愛をこめて 夫より」という一文を入れていたに違いありません(?)。そういうわけで、今回は愛について記事にしてみました。

 

 

4つの分類

 

古代ギリシャでは愛の種類を4つに分けていたそうです。

 

エロス

 

男女間の恋愛を指します。ほとんどの人が思春期以降は大好きな感じですよね。接近禁止命令が出ているのに相手の家のインターフォンを押して逮捕されるのもこのエロスのなせる業です。JPOPの歌詞に出てくる「愛」は基本的にこれですね。笑顔を守りたくなったり、会いたくて眠れぬ夜を過ごしたり、瞳を閉じていろいろ描いたりします。若いって素晴らしい。この感情には苦しみがつきものであると言えます。無償の愛であるアガペーとは異なり、見返りを求めることが強いからでしょう。報われなかった場合は精神的に激しいショックを受けることがあります。

 

フィリア

 

友人の間の友愛を指します。「ONE PIECE」あたりの人間関係を連想すればよいでしょう。古い例では、やっつけてしまっても「強敵(とも)」だったことにしてしまった人もいました。同じ環境・境遇などに身を置くことでお互いにシンパシーを感じることから生じる情で、学生時代の部活や同期入社などでは形成されやすいですが、人生も後半になってくるとなかなかそうした友人関係は作りにくい面があります。ちなみに、何年か前には「東シナ海を友愛の海に」という発言をした偉い人がいたのは多くの方がご記憶と思います。

 

ストルゲー

 

急に特撮の怪人の名前みたいなのが出てきました。親子や兄弟間の家族愛を指します。血縁関係があり、実際にかなり長期間生活をともにしますから、近しい関係となるのは当然なのですが、近い距離でお互いいっさい遠慮をしないので衝突や葛藤を生じやすく、「骨肉の争い」などという激しい近親憎悪になることもあります。親子兄弟といっても性格や考え方の違い、相性もありますから皆がうまくいくことはなかなかありません。「親の心子知らず、子の心親知らず」「兄弟は他人の始まり」という言い回しもあります。

 

アガペー

 

神の無限なる無償の愛、というもっとも神聖なものになります。鳩に餌をやるときの心理を想像してみてください。鳩に対して、「礼くらい言いなさい」とか「お返し持ってきなさい」とか思いませんよね。いっさい見返りを求めていない場合、アガペーということになるでしょう。これが人に対する場合はなかなかこうはいきません。もしも一方通行でしてあげるばかりになると、「あれだけしてやったのに恩知らず」となります。「太陽の光は美人の顔も犬の糞も等しく照らす」と言った人がいますが、普通の人は好きな人と嫌いな人に同等に接することはできません。

 

愛や善行は往々にして報われない

 

溺れる子供を助けようとして溺れた、暴漢に襲われる人を助けようとして刺された、というのはよくニュースで見聞きするところです。いいことをしようとして逆に自分がひどい目に合うとか、あるいはやったことがまるで無意味になったり、逆に人の妨げになったりと、「愛は勝つ」どころか一筋縄ではいかない結果を生みます。

 

「慈悲魔」という言葉があるように、人助けもやりすぎてはかえって悪になることがあるのです。例えば、貧しくて食べるのに困っている人に毎月お金を上げて自分が困窮してしまっては本末転倒です。そしてもらう方はそのお金を当てにしていつまでも依存したりするかもしれません。どうしようもない場合を除けば、自立させる方向に支援するのが筋です。

 

子育ても(したことないですが)、子供を愛しすぎて他人の目からすると溺愛と呼ばれるほどになると、 子供の金銭感覚がおかしくなったり常識が身につかずに社会に出ることになるかもしれません。そうなると親は「あれだけ一生懸命大事に育てたのに」という思いになるでしょう。愛情のかけすぎも本人のためにならなかったのなら苦しい結果を生みます。

 

ほどほどの愛を出す

 

イエスキリストやマザーテレサのように、自分の一生を犠牲にしてでも他人のために愛の行いをする、というまれな人を除けば、一般的な人は「ほどほどの愛」をもって生きるのがよいのではないかと思っています。

 

自分の身を痛めるまで頑張って何かをするのは特別な相手に対してだけ。他の人に対しては、常識の範疇、自分の能力内で無理のかからない程度に思いやりをもった言動をする。どうしても性格が合わない、むしろ嫌いだという人に対しては、なるべく対立は避けてマナー違反にならない程度の応対をする。ぐらいかと思います。もちろん自分ができると思えばめいっぱい頑張っていろいろな人に愛を注げばいいのですが、その場合報われなかったり逆に恩を仇で返されることも覚悟の上でですね。自分が壊れてしまっては何にもなりません。

 

異性に対する愛情も、行き過ぎるとどうも幸せな結果につながらないような気がします。愛しすぎて報われない場合は異常な執着や激しい憎悪に変わることが多いですからね。2人ではぐくむとはいえやっぱり違う人間ですから、どうしても温度差が生じることは仕方ないのかもしれません。とはいえ、ほどほどな感情で恋愛できるかどうかは人によるでしょう。

 

終わりに

 

いかがだったでしょうか。最近では親が子供を虐待するニュースが増えるなど、本来あってしかるべき場所でも愛が失われているように感じられます。日々の生活がそれだけ厳しくなっているということなのか、理由はよくわかりません。しかし、自分が多少でも人から愛情を受けたければ、ただ待っているだけではなくまず自分が誰かに対して出してみるということも必要かもしれないと思っています。10出して3ぐらいしか返ってこなくても、自分の気持ちが楽になっていく、満足感を得られる気がします。いえ、こんなことを書いている私は全然なのですが。他の愛情深い方たちを本当に見習わないといけないですね。ここまで読んでいただきありがとうございました。