明日は明日の風が吹く

某塾で個別指導講師やってます。日記とか考えたこととかを記事にしています。

これまでの経緯14

Yの葬儀は急遽、小さな場所できわめて簡素に行われました。家に連れて帰ることもなく、家族以外の誰にも知らせることなく。遺体の顔は傷一つなくきれいで、生きているときよりもむしろ穏やかな表情を浮かべていました。普通に眠っているようにしか見えませんでした。

 

意外なことに、遺体と対面して自然と涙が出ました。元々私は情感が薄いというか、涙腺が発達していないというか、泣くということがあまりないタイプです。Yのことも冷静に受け止めていたつもりでした。しかし、人生を謳歌していたようにみえた学生時代を終えてから急転直下、信じられない速度で深い闇に落ちていった姿は哀れでなりませんでした。そして、よく喧嘩もしたとはいえ、気安く話の出来る家族を1人失ったのだとあらためて認識させられたのでした。

 

Yを失って以降、しばらくはボディブローのように徐々に喪失感が襲いましたが、親は「病弱な子供らのために少しでも元気で長生きしなければいけない」(注:私ほどではありませんが、もう一人のきょうだいも人並みの健康さはありません)、子供側も「親より先に死ぬわけにはいかない」と出来るだけ気持ちを切り替えることにしました。それでも母親は、「子供達3人ともに先に逝かれるのかもしれない」という恐怖が何度も襲ってきたといいます。

 

そこから数年は、それなりに平穏な日々を過ごしていました。ただ、私の病状はいっこうによくはならず、特に毎年花粉の飛散する2、3か月には大ダメージを受けて寝込み、夏前ぐらいにようやく少しましになるといったサイクルを繰り返してはいましたが、年齢とともにだんだん回復力を失ってきているのは明らかでした。

 

その頃、私は極度の病院不信、医者不信であり、「何かあったとしても病院には行かん。家でそのまま死ぬ」と言っておりました。これまで行った病院のほとんどが、ながながと待合室で待たされた挙句10分程度の診察で「じゃあお薬出しときますねー」というおなじみのパターンであり、薬を長期間使用することによる副作用の説明など一切ない流れ作業のような扱いだったからです。どこに行っても対応同じ、薬も同じ。時間の無駄以外の何物でもない。そう思っていましたが、かといって代わりの有効な治療に巡り合うでもなく、ただ衰弱するだけの年月が過ぎてゆきました。